LcND2014/12「たまには、音楽理論はいかがですか?」
LinkclubNews掲載コラム、12月分より、
タイトルは「たまには、音楽理論はいかがですか?」
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「理論」というワードに対して、いきなり拒否反応が出てしまうのも、無理もないですね。
いやいや、そんなに構えないでお付き合いください。
「理屈と膏薬はどこへでもつく」という、ことわざがあるのですが、
いわば、膏薬はカラダのどこにでもくっつくように、
理屈も、どんなものにもつけられるというたとえなんですよね。
音楽理論なんてのは、音楽の理屈をまとめたもので、
それこそ理屈を超えた、屁理屈のようなものが集まったものと考えてもいいくらいです。
音楽のルールと言ってしまえば、そうなんですが、
例えばスポーツのルールと違うのは、
反則を犯したところで、すぐさま危害が及ぶわけでもなく、
音楽は、ルールを無視することだって、一向に構わないということ。
あるいは、法律と違って、犯したところで罰則罰金なんかもありません。
結局、音楽理論なんて全く拘束力も、なにもないルール。
最初から守らなくてもいいルールなんて、意味ないじゃない……。
おっしゃるとおりです。
これは、よく言われる例えですが、
音楽理論は、やはり言葉の文法に似ています。
おおよそ、日本で生まれ育った人で、病気の場合を除き、
日常レベルの日本語会話ができないということはあまり考えられません。
わたしも貴方も、日本語の溢れる環境に、長期間いたことが要因です。
ですから、音楽が溢れる環境で育てば、つまりは、音楽ができるようになります。
幼少期、音楽が溢れている家庭で育った人は、まずは音楽好きになります。
では、英語の授業。
おそらく英語圏で育っていない私たちが、英語を操れるようになるには、
本来、日本語に接してきた時間と、同じだけの時間、
英語に触れなければならないはずです。
それだけ習得に時間がかかるものを、なるだけ短縮するためには、
最初から文法、仕組みを知っちゃえば早いじゃないか!
という意味合いもあると思うんですよね。
国語の授業だとしても、ほとんど不自由なく日本語を操れる私たちが、
今にして、なぜ日本語の文法を学ぶか?
これも、話し言葉以上の、文章とか小説とかを、
恰好良く、うまくまとめるために必要な技術、とも言えますよね。
音楽理論も、全く同じようなものです。
音楽の感覚やセンスは、
小さな頃から、知らず知らずのうちに身に付けてくるものですが、
音楽理論は、それらの仕組みを、歴史を遡って共通する法則としてまとめたものです。
そこから学ぶということは、時間のかかる音楽の体験と経験を、ひとまずすっ飛ばして、
いわゆる時間短縮、早道をしてしまおうということですからね。
そして、スピーチや作文をするには、
やはり日常の会話レベル以上のコツや知識が必要ですから、
説得力が増すように、日本語の文法にもこだわりますよね。
音楽理論も同じです。
それなりに恰好良く演奏したり、曲を作るというときには、
理論を知っておくと、便利きわまりない。
「音楽に理論は必要か?」という議論は、
今も昔も相も変わらず、リアルでもサイバーでも、盛んにやり取りされております。
もはや、あらゆる価値観と捉え方と年齢に幅がある人間が集まると、
永遠に同じ土俵で語ることができないテーマのひとつです。
中でも、必ず引き合いに出される
「理論を学ぶと、かえって枠に縛られ、画一化してしまう」という意見。
ひとつ言えることは、枠を最初に知ってしまえば、
どうにでも、枠から抜け出せるということです。
見様見真似で、枠の収まろうとするよりは、枠から工夫してはみだす知恵こそが、
クリエイティブなんだと考えたりしますよね。
と、なんだかんだと、もっともらしい屁理屈をいいつも、
わざとらしく拙著新刊のお知らせに繋げてしまうわけですよ。
今月の19日に
「ちゃんとした音楽理論書を読む前に読んでおく本」(著者/侘美秀俊)
が刊行されます。
語り口は、限りなくライトに、肝心の内容はコアにというのが、本書のコンセプトです。
昭和テイストの冗談風読み物にもなってますので、ぜひ、年末年始、親子で愛読頂けると嬉しいです!
・ちゃんとした音楽理論書を読む前に読んでおく本 | リットーミュージック
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