ほとんどビョーキな音楽家
気がつけば、5月も終わりに近づいている。
しかし、今月はよく旅に出たものである。
今週末は珍しく家で過ごす。とはいってもかかえているスコアに没頭。
土曜日は、お世話になっている「しずくまち♭」という劇団の短編オムニバスの公演を見に行く。
たまたま、この日の演目は、かつて自分が参加した時に作った曲ばかりを再演してくれるプログラムだった。いつもなにかしらの演奏に参加しての本番だったが、今回は本当に一観客として見られるという貴重な体験。演奏会用の作品なら当たり前なのだが、芝居の劇音楽を、芝居も含めて外から眺める事など、滅多にないので、とても楽しく、懐かしく見させていただいた。うーむ、感謝。
ここ最近、チャイコフスキーのアレンジを手がけている。おかげでチャイコのオーケストレーションが染み付いてきているわけだが、気になるところは、ダイナミクスのコントラストが極端すぎる点である。pかf、そしてff、fffなどが頻発する。mfがたまにあるくらいで、mpなどは皆無に等しい。神経質で、あいまいやら中途半端がきらいなのだろう。どちらにしても白黒はっきりつけたい印象が全面にあらわれている。あと、感情過多なところが非常に多くみられる。誇大妄想癖。しつこい。これでもかーこれでもかー、どうだーまいったかー的な構成。オーケストラという楽器群を鳴らすのには、彼のような資質はもってこいだと思う。私の好みは一致している。がしかし、ロマンチック全面で、いささか胸焼けするのも否定はできない。もっと楽句の印象はドライな方がノーブルだと思ったりもするのだが。ひとことで言えばスピードワゴンばりの「あま〜い」なのであるが、もちろんショパンのそれとは違う。ショパンは女性受けNo.1なのだろうが、チャイコは男視点のロマンティシズム?といってもいいのかもしれない。同性愛のこととか、なんか絡めようかと思ったのだが、うまく話の流れがまとまらないので、以上。面目無い。最近、付き合いの中で特に思う事、実力のある作曲家、才能のある作曲家、天才作曲家は、やはりどこか病んでいるものなのだろう。凡才作曲家を選ぶか、ビョーキで苦しむか。まぁ、作曲家に限らず、演奏家にも当てはまるものだが。坂本龍一の言葉を借りるなら「軽度でガードマン、中度でミュージシャン、重症だと病人」
そうそう、近所のサウナに置いてあった某週刊誌で読んだんだけど、あのタリウムの少女は、やはりアスペルガー症候群だったようですね。〜アスペルガー症候群の人は興味の対象に強烈で偏執的ともいえるレベルの集中を示し、特別な才能だったり、異常な才能として周囲に認知される場合がある。〜と
彼女(彼)の場合は、「化学(毒物)」に特別な興味があった訳ですが、これが「音楽(作曲)」であったりするケースもあるだろうし、その場合、ミュージシャンや音楽家という職業は、辛うじて社会との接点になりうるのかもしれん。と、もやもやと考えてしまった。
ああ、随分書きすぎた。これも立派なビョーキ。(苦笑)
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